アンジップト日比谷公園

恋するトポロジー

しれっと子供のキンドルに忍ばせて、かってに読み返してやっぱいいよなぁこの本

 

あいつが、自分の子供が、本を読んでいるのを見ると、ちょっと不思議な気持ちになる。おれもこんなんだったかなぁって、どんな本を読んでたかなって、ぼやーっと考えていると、あの本良かったなぁって。そうなると、おせっかいな衝動がもう止められなくなっていて、こんなことをついついしてしまう。

あ、そうだ、今度あの本をしれっとダウンロードしておこう。

今回は、なぜかこの季節に読みたくなる「エイジ」。

 

エイジ (新潮文庫)

エイジ (新潮文庫)

 

 

おれは中学生の頃に親父に投げるように渡されてこの本を読んだ。教師になるって言うようなやつには、絶対読めよ!って念を押して、わざわざ買ってこの本を渡してきた。

「まぁ、紐でもなんでも、たるんでるうちはキレないんですけど」

このおかげで、おれはたるみっぱなしで、大仰にキレることもなく、平穏にすごせております。

この本を読んでくれたなら、もう好きに生きてくれって言える。

 すげー近かった親友。うるせーけど憎めないC級の、なんか認めてくれるA級の、なに考えてんだろうのB級の友達。もうたまんないくらいに好きなあの子。父に母に姉。中学生の頃の、人との距離感が、友達といた教室、廊下や階段が、この思い出す感じがくすぐったくも、真剣に、深刻に、自分のあの頃を読める。

 親父になってからでも、こどものこの時期を読める本作は、こどもの心の内の衝動が、不安定な行動に、危険な暴行になってしまう過程、そして少年とひとくくりにされた本人達はどう向き合うのかが描かれている。

むかつかないのに殴る。 なに?  それ。 見ず知らずってことは、 自分とはぜんぜん無関係ってことで、好きとか嫌いとかもなくて、そんな人をいきなり殴る?

頭おかしいんじゃねーの? あんた。

なによりも、その過程は行動を起こしてしまった人間ではなく、その周りにいた人間を通して描かれている。みんなそれぞれの「その気」を心の中に抱えていて、ときには本物のナイフを持ったりしてみる。それでも、全員がそれぞれの形でこの不安定な時期を乗り越えていく。

通りすがりの人を後ろから殴りつける気持ちがどうしてもわからなかっ た。 バカじゃないかとも思っていた。いまは違う。 そういうのも「あり」なんだと、わかる。

  子供と向き合うときに、それも「あり」なんだと伝えることが、どれほど困難か。この物語でもそうだが、本人たちの成長に直接関与している大人は、部外者(記者)でしかない。身近な大人はただ見守ることになっている。初めて男の子を持つお母さんにとっては、何を考えているかなんてことはわかりづらいだろうし、そもそもそんなことを考えだしたらヤバい。

わたしたちって、結局はさ、そういう人たちなんだ。

 ただ、これはとても個人的な感想だが、母の奔放さは好きだ。結局、こういう母が強いのだと、男の生物としての圧倒的敗北というか、外で稼いでくるしか能が無いんだなと、くだらない劣等感もあったりする。

いつだったっけ、姉が耳にピアスの穴を開けたときも、母は夕食のしたく を途中で放りだしてしまい、ユーミンのCDを若い頃のやつから順にヘッドフォンで聴いた。 帰宅した父は「兵糧攻めだな」と笑い、姉とぼく と三人でファミリーレストランへ出かけた。帰りに買ったコンビニの弁当 を『 ゴメンでした』 のメモを添えて姉が差し出すと、母は引き替えに、「 いいかげんな開け方しちゃって」と化膿止めの軟膏を姉に渡した。ぼくの家族は、そういう人たちなのだ。

  家族だけはなく、その教室にしても、職場にしても、「結局、わたしたちはそういう人たちなのだ」と寛容になれるか、なれるところまで行ったのか。ただただ思い続ける若さこそが、この寛容さを生み出しているようにも感じられるし、なんか大人になってもわすれたくねーよな、というか、若い人達から吸収していきたいことでもある。ここだけでなく、多分に大人の振り返りポイントが散りばめられている。

もう春、終わったのかよ、あちーよ

 なんで、この季節に読みたくなるのかは知らないし、卒業入学入社シーズンの方がベタで良いんだろう。でも、やっぱりこの「もう春、終わったのかよ、あちーよ」の季節にオススメしたい。ちなみにこの本は大人なら泣ける。